Yufu Blog

ピアニスト、伴奏者、ピアノ講師をしています。 桐朋→ Manhattan School of Music(NY)卒業

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ピアニスト・ピアノ講師の Yufu のブログです♪

【読了本】村田沙耶香『コンビニ人間』を読んでモヤモヤする夜

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今年から一冊ずつレビューしようと思ってたのに、記事が間に合ってない問題。



「やはり月ごとにレビューすべきだったか…?」と思い始めてます(^ω^三^ω^)

こんにちは、私です。



今回は、2016年に第155回芥川龍之介賞を受賞した村田沙耶香さんの『コンビニ人間』。

コンビニ人間

前に「アメトーーク!」の読書芸人回のオススメ本を紹介するコーナーで、なんとピースの又吉さん、オアシズの光浦さん、オードリーの若林さんの御三方が被ってこの本を紹介していて、「こんなに被るほど良い作品なの…?」と気にはなっていたのだけど、今頃になってあらすじを見て、読みたくなった。

36歳未婚女性、古倉恵子。
大学卒業後も就職せず、コンビニのバイトは18年目。これまで彼氏なし。
オープン当初からスマイルマート日色駅前店で働き続け、変わりゆくメンバーを見送りながら、店長は8人目だ。日々食べるのはコンビニ食、夢の中でもコンビニのレジを打ち、清潔なコンビニの風景と「いらっしゃいませ!」の掛け声が、毎日の安らかな眠りをもたらしてくれる。
仕事も家庭もある同窓生たちからどんなに不思議がられても、完璧なマニュアルの存在するコンビニこそが、私を世界の正常な「部品」にしてくれる――。
「普通」とは何か? 現代の実存を軽やかに問う衝撃作。

綿矢りさ著『勝手にふるえてろ「片思い以外経験ナシの26歳女子」という内容紹介に食いついたときといい、私は年齢を重ねても恋愛や結婚をしていなかったり、社会にうまく適応していない主人公に、つい惹かれる。
誰かに自己を肯定してほしくて、そういうのをうっかり求めてしまっているのかもしれない。笑



芥川賞作品なんだけど全然お堅い作品ではなく、最初から面白くて二、三時間で読了してしまった。



主人公は、幼少時から他人の気持ちを推察することが苦手で、自分の思ったままに発言・言動すると、周りから「普通じゃない」目で見られたり、親を苦しめてしまうことに気がつき、自分を封印する術を覚えて生きていく。


たとえば皆の話に、内心同意はしてないんだけど、とりあえず空気読んで同調してるように見せてみたり、そういう経験って少なからずある……!



主人公はコンビニ店員を18年間務めてきて、それはルーティンで回っていく世界に適応して順応出来たからなんだけど、とにかく自分の本当の考え方や感じ方を隠して周囲の人にファッションも言動も喋り方もすべて合わせてるから、同じ場所にい続けているのに、その時々で全然違う人間になる。

私の喋り方も、誰かに伝染しているのかもしれない。こうして伝染し合いながら、私たちは人間であることを保ち続けているのだと思う。(p.26)

「スタッカートのような喋り方」みたいな比喩が出てきて、音楽やってる者としては愉快な表現だなと思った。




あと、誰も気に留めちゃいないのかもしれないけれど、アセクシャル*1の話題が出たときに、それを主人公が「わかりやすい形の苦悩」と表現したのは、最初驚いた。

私は、アセクシャルって分かりにくい悩みだと思っていたので。だって、「ある」ことならともかく、「ない」ことを証明するのは難しいことでしょう。

性経験はないものの、自分のセクシャリティを特に意識したこともない私は、性に無頓着なだけで、特に悩んだことはなかったが、皆、私が苦しんでいるということを前提に話をどんどん進んでいる。たとえ本当にそうだとしても、皆が言うようなわかりやすい形の苦悩とは限らないのに、誰もそこまで考えようとはしない。そのほうが自分たちにとってわかりやすいからそういうことにしたい、と言われている気がした。(P37)


読了後にこの本の他の人の感想をwebで流し見ていたら「この主人公ってアスペルガーだよね」とさらっと書いてる人がいて、なんだか腑に落ちた気がしたわけなんですが、
この小説のなかには、「アスペルガー」なんて単語は一切出てこないの。それが素晴らしい。



結局、それを踏まえてさっきのアセクシャルの件を振り返ってみると、私が誤解してただけだったんだと気がついた。



最初読んだときは「アセクシャル」=「わかりやすい苦悩」と表現したのかと思って、イラっとしてしまったけど、そうでなくて、主人公は「たとえ本当にそうだとしても」とちゃんと言ってた。

たとえ本当にそうだとしても、皆が言うようなわかりやすい形の苦悩とは限らないのに、誰もそこまで考えようとはしない。

これって、かなり真理だと思う。


とどのつまり誰しも「名称があるとわかった風になる」のではないかな、と思う。
当人がどれほど悩んでいたとしても。

「アスペルガー」という単語ひとつで「なるほど…」と思ってしまった私のように。





名称があるだけで、カテゴライズされただけで、なんだか分かったような気になってしまう。



自分の経験談だけど、友達が突然亡くなったことがあって、精神が参ってて思わずその出来事を打ち明けたときに「あぁ、そういう人(自殺する人)って最近多いよね」と何事もないようにスッと返されたことがあるのを思い出した。

そうじゃないんだよね。そうじゃない。
そうじゃないって強く思うのに、そのときなんて返せばいいかわからなかった。




名称があったら、自分だけがこんなに悩んでるわけではないとわかって、安心したり希望を抱けるきっかけになる。だから私は「名前」の存在を否定したいわけじゃない。




でも、ほんとうはそうじゃないよね。
名前を知っただけでは、分かったことにはならないよね。
それは「記号」を見ているだけで、「本当のその人」を見てはいないよね。見ようともしていないよね。



当人にとっては、それそのものは何も変わらなくて、これからもまだ続いていく話で。
カテゴライズされても、それがその人にとってどんなもので、どんなことで苦しんでて、どんなことか出来て/出来なくて、それをどんな風に受け止めてて、っていうのは、当たり前だけど人それぞれ違う。

名称があることは、もちろん周囲の理解を得ることや、自分の希望にはなるかもしれないけど、だからと言ってそれ自体が変わるわけじゃない。「直る」わけでもない。そもそも「直す」必要があるのかさえわからない。*2



アスペルガーも、セクシュアリティも、他のことも、何でもそうだと思う。



あなたの悩みは、あなたのものだよ。

あなたの痛みも、あなたのものだし、
あなたの感情も、あなただけのものだ。




心に引っかかる表現を使ってくれてるお陰で、こんなことをつらつらとずっと考えてしまう夜でした。
考えがまとまらなくて、要領を得ない、散らかった文章でごめんなさい。



さすが芥川賞作品、面白かったです。


こうやって、読了後もしばらくいろいろと思いを巡らせられる作品って、すごく力があるということだと思う。
普段は私は話題作や受賞作を読んだりする人間じゃないのだけれど、話題になっていたお陰で、魅力的な作品に出会えました。




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*1:他者に対して恒常的に恋愛感情や性的欲求を持たないこと。恋愛感情が存在しない。

*2:「治る」じゃなくて「直る」という感じを使ってたのも印象的だった。身体の中の部品の話みたいだ。