Yufu Blog

ピアニスト、伴奏者、ピアノ講師をしています。 桐朋→ Manhattan School of Music(NY)卒業

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ピアニスト・ピアノ講師の Yufu のブログです♪

【保護者用】ピアノの足台や補助ペダル設置の際の手順と舞台マナー

来月は、発表会です(*´∀`)♪


私は、舞台に上がる前には、お辞儀の仕方など、ステージマナーをレッスンで指導しています。
何回か発表会に出てる子は、もう分かるかなとは思うのですが、突然「何だったっけ!?」と思ってもいけないので、
本番の少なくとも2週間前あたりから、お辞儀から練習します。



出演者のお辞儀の流れ

ピアノをしたことない方に一応ご説明すると、
ホールによって例外はありますが、基本的には舞台下手、
つまり客席から見て左側から歩いてきて、ピアノの前で客席に向かってお辞儀します。

こんな感じ。


簡単ですね。
何にも迷うことはありません。


足台や補助ペダルの設置の仕方

小さなお子さんの演奏の際、必ず必要になるのが足台や補助ペダル。こういったものですね。

おすすめの補助ペダルや適切なペダルの選び方についてはこちらをご覧ください♪


お教室の発表会のときは、私たち講師が補助ペダルや足台の設置をするのですが、
もうすぐピティナのステップに出る生徒さんがいて、私は行けないので、設置してあげられないことになりました。

お母様が今回初めてペダルの設置をしないといけないので、「一緒に練習しましょう」と提案しました。


経験上、補助ペダルを設置するだけなのに、
子どもより緊張する保護者の方が多い
ので、一応練習しておいたほうが良いのです。気持ちはめちゃくちゃ分かります…笑


生徒さん自身は、何度か発表会にも出演しているので大丈夫とは思ったのですが、
どちらかというと、保護者の方のため、、の練習です(*´ω`*)

大人だって、「こうやってやるんだ」って事前にわかってたほうが慌てないし、安心するじゃないですか。笑



とりあえず、足台を設置する手順としては、
基本的には出演者と一緒に舞台に出て、速やかに設置する。それだけ。



私が保護者の方に注意するのは主に4つ。


① 黒子とはいえ、舞台に上がるので、それなりの服装で。
ドレスやスーツを着る必要はないけれど、寒くても舞台袖でコートは必ず脱いで、持ち物は舞台袖に置いて舞台に出る。*1

② 歩くときにコツコツ音がしまくるヒールは避ける。
うるさいので。万が一、演奏に被った場合は最悪。

③ 客席になるべくお尻は向けない。
見たくありません!笑

④ 演奏後も忘れずに取りに行く。
「次の人も使うから置いておいてください」と事前に決めている場合は別として、設置後の取り外しも忘れない。演奏が終わると、ホッとしてつい忘れがちなので注意!


あとは、ピアノ椅子の調整の仕方とか、そのくらい。
出演者には、①設置者が舞台から去ってから弾き始めること ②ペダルを設置してもらってる間の立ち位置 を注意します。



今回、練習してみたら色々疑問があったので、
もしかしたら同じ疑問を持つ人もいるかも? と思って、ペダルや足台を設置する保護者の方の役に立てば良いなという気持ちで、シェアしておきます。笑


疑問1:「右ですか? 左ですか?」

私「はい、始めまーす。では、○○さん。どうぞ!」
お母さま「待って! 先生、右ですか?左ですか?

私「え、何が? 何のはなし!?!? 足はどっちからでも良いですよ!!😂😂」

まさか始まる前から問題が発生すると思わなくて、わたしも焦りました😂😂😂

お母さま「違う! 子どもが右ですか? 私が右?」
私「えっ、どういうこと? ……あっ、もしかして二列で歩こうとしてます…(´⊙ω⊙`)?」


舞台への出入りは一列で!
出演者が先に出る!足台設置係は出演者の後に着いて出て、速やかに行う!*2
主役は出演者! 保護者に被ることは有り得ない。




疑問2:いつ出るの? 今でしょ!


私「はい、ということで気を取り直して、もう一度始めます。○○さん、どうぞ」

生徒さんはピアノの前まで歩いていきました。
※イラストが変わったのはご了承ください。ちびパンダが生徒

私「……」
生徒「……」
何故かお母さまが出てこない。

ふと、横を見るとお母さま、一歩も動いてない。

お母さまは無言でこちらを見ている。

出演者の後についてすぐに舞台上へ!
出演者がお辞儀している間に設置を始める。


そんなこんなで、子どもも何故か混乱


何度もイラストが変わってしまってわかりにくく申し訳ないです(´・ω・`)

テイク3まで行ったせいか、私が客席側にわざわざ座っているにも関わらず、何故か鍵盤にお尻を向けて、誰もいない方向にお辞儀をし始める始末…😂😂
今まで発表会の度に何度もお辞儀の練習をしてたのに、どうして急に分からなくなるのよ!!(´;ω;`)


疑問3:会釈をした方がいいの?


子どもがお辞儀をしているのを見て、
「自分も会釈をした方がいいのでは!?」と思ったお母さん。

何故か子どもと一緒に誰もいない舞台袖方向に会釈し始めたーー!!!😂😂



とりあえず、舞台袖方向に向かってお辞儀するのはやめましょう。意味ないです。

足台設置後にお辞儀はしなくてOK!
それよりも、速やかに舞台から去ってほしい。



勿論、印象は悪くないので、お辞儀してもいいですよ。
でもあくまで主役は出演者ですし、その分時間も押してしまうので、実際は早く舞台から去ってほしいというのが現状。。笑

お辞儀しない人のほうが多い*3し、「お辞儀しないなんて無礼な!😠」とは思われないはず。
いや、変わり者の先生がいたら思う場合もあるのか?
でも、それはかなり稀有なケースなので、別にそんなこと想定しなくて大丈夫です(๑•̀ㅂ•́)و✧♪



色んな疑問があるんだなぁ…

自分はもう慣れてるので、保護者の方から寄せられる疑問がいろいろと新鮮です。

何かピアノに関して、舞台マナーに関してなど、わからないことがあったらコメントやメッセージでいつでも質問ください。

疑問って、たぶん一人だけのものじゃないと思うので、
ブログやホームページで色々とシェア出来たら良いなと思います.゚٩(๑>◡<๑)۶:.。



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*1:コンクールでたまにカバンを持ったまま舞台上に現れる人がいるので、念のため注意

*2:ごくたまに「舞台が広いので、時間短縮のためにペダル設置者が先に出てください」という場合もありますが、大体は一緒に出ます。

*3:私が見てる感じだと、9割お辞儀しないと思う。

【読了本】シュ・シャオメイ『永遠のピアノ〜毛沢東の収容所からバッハの演奏家へ ある女性の壮絶な運命〜』を読んで、独裁政治について考える

中国人ピアニスト、シュ・シャオメイ著『永遠のピアノ』を読みました。

知り合いがSNSに「近年読んだ中で最も印象的」な本として挙げていたので、興味深く手に取った。
読書家が勧める本は、気になっちゃいますね(゚∀゚)
英題は『The Secret Piano: From Mao's Labor Camps to Bach's Goldberg Variations』みたい。
Eternalでなく、Secretなの、なんとなくしっくりくる。



概要

前半生を革命で失った女性がピアニストになるまでの、衝撃的自伝。
1966年、著者が育つ中国に文化大革命の嵐が吹き荒れる……。

幼少期に得た、ピアノを弾くことの喜び。しかし歴史はその素朴な喜びを抱き続
けることを許さない。十代の希望にあふれる少女を、革命へと巻き込んでいくのだ。
演奏することは死をも意味した…。破壊と混乱の文化大革命が多くの時間を奪い去った。
プロ演奏家になれたのは40歳の時。遅すぎる、けれども希望ある出発となった。

芸術の意味を問う在仏中国人ピアニストの自伝。フランス語で著された最も優秀な音楽書籍に贈られる「グランプリ・デ・ミューズ」受賞の話題作。

中国人のフランス語で出版された本を日本語に訳すという、大胆な流れ。
というのも、そもそも著者のシャオメイさんは政治的な理由により、中国からアメリカに移り、そしてフランスに渡ったからだ。

私は自分が無知なことが恥ずかしいけれど、「文化大革命」について知らなかったし、ほんの数十年前にこんなことが同じアジアの国で起こっていたなんて、衝撃を受けた。
彼女の自伝としても、また、数少ない「文化大革命」についての資料としても、大変貴重な書籍。

著者のレパートリーである「ゴルトベルク変奏曲」になぞらえて30章で構成されている。



著者について

GOLDBERG-VARIATIONEN
J.S.Bach : Goldberg Variations / Zhu Xiao-Mei

シュ・シャオメイ(Zhu Xiao-Mei、朱曉玫)

ピアニスト。中国・上海生まれ。
幼少の頃より母からピアノの手ほどきを受け、八歳になるとラジオやテレビで演奏を披露するほどの腕前となった。北京中央音楽学院。在学中に文化大革命が起こり勉学を中断、五年間、内モンゴルの再教育収容所での生活を強いられた。その後、北京へ戻り北京中央音楽学院に再入学。一九八〇年にアメリカに渡り八四年にはパリに移住、後に定住を決意する。

以降、ピアニストとしてのキャリアを花開かせ、ヨーロッパ、アメリカ、アジア各国の大ホールで演奏し高い評価を得ている。各国の音楽フェスティバルにも招かれ、定期的に国がある国際コンクール(クララ・ハスキル、ロン=ティボー、バッハなど)の審査員を務めている。

彼女の壮絶な人生がこの本には刻まれてます。


感想

「40歳でピアニストとして活躍し始める」と聞いただけですごいけれど、
子供時代に再教育施設に入り、ピアノはおろか、西洋音楽・文化に触れることすら禁止されていた(疑いがあるだけで殺されてしまう)世界にいたなんて、想像もつかなかった。

そのような世界に生きていて、果たして自分なら、ここまでクラシック音楽を渇望できるだろうか。諦めてしまわないだろうか。

読みながら私の脳裏によぎったのは、第二次世界大戦でナチス占領下を生きたユダヤ人ピアニストを描いた映画戦場のピアニストや、フィクションだけれど、本や物語などの芸術を禁止された国家理想都市から追放された少年を描くあさのあつこさんのNO.6〔ナンバーシックス〕だった。

抑圧、暴力、洗脳、死への恐怖…。
10代の頃より、毎日行われる「自己批判の会」。
お互いに批判し合い、監視するような生活。
「集団」が何よりも、「家族」よりも大事と教えられ、
「出身不好(ブルジョワ)」とされる親を恥じ、つらくあたったり、西洋音楽を教える音楽学校の先生方を非難して、平気でひどい言葉を浴びせられるようになる。
何が正しいのか、正しさの判断を自分以外の人間--それも、一人の指導者の基準に仰ぐこと。そこから外れたら酷い拷問や処刑が待っていること。怖いと思った。


これは、過去の話だけれど、決して過去の話ではないと思う。
こんなことが他の国でも、繰り返さないといいと切に願う。


ニューヨーク時代を思い出した


私はニューヨークのマンハッタン音楽院(以下MSM)という音楽学校に留学したのだけれど、そこの学生は8割が中国人だった。
MSM以外のマンハッタン内の音楽学校は他にジュリアード音楽院とマネス・ニュースクールがあったが、どちらも同じような状況だった。
反対に、日本人はほぼいないに等しい。一人見つければ奇跡のような感じ。

ニューヨークはヨーロッパと違い、学費も物価も高い。
しかも、クラシック音楽といえば、アメリカではなくヨーロッパが本場である。それなのに、何故多くの中国人がアメリカに学びにくるのか、疑問に思っていた。

しかし、この作品を読んで、「やはりアメリカというのは“自由の国”だったのだ」という認識が強まった。
私はアメリカにいるときに、「アメリカはアメリカ人の国というよりも、いろんな国の人たちの集合場所のような感じがする」とよく言っていたのだけど、ロシアから亡命したラフマニノフ然り、まさにアメリカには自由を求めてくる人が多いのではないだろうか。

私のルームメイトは中国人で、彼女は時々自分の国について話してくれた。
食べもののこと、周りの学生たちとの関係*1、自国での職場の話、お母さんが生きていた時代…などなど。

特にお母さんの子供時代の話がとても印象的で、当時は食べるものも少なく、とても困っていたと聞き、戦時中のような話に驚いたのだが、本作を読んで、このこと(文化大革命)だったのかと思った。

他の中国人のともだちも「日本には音楽学校はいくつあるの? 中国には二つあるんだ」と話していたときも、「中国は大きな国なのに、音楽学校は二つなの?」と思ったが、こういう影響*2があったんだな。

同じ頃、日本では…


1960年代の日本 - Wikipedia
日本ではこの時代(1966年頃)は「高度成長期」で、「笑点」や「ウルトラシリーズ」など、現代に通じるものがたくさん生まれている時代。平和に向かって歩み始めてる。
同じ時代に、すぐ近くの国でこんなことになってたなんて。とてもショック。


ひとりの音楽家の半生としてだけではなく、歴史資料としてもオススメ

シャオメイさんの壮絶な人生、それだけではなく
「文化大革命」の資料もとても少ないようですので、経験者の語る経験談としても、とても興味深い内容でした。

音楽家だけでなく、幅広く皆さんに読んでほしい本です。

私は、シャオメイさんの演奏も拝聴したことがなかったので、聴いてみたいと思います。



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*1:シリアスな問題ではなくて、中国人同士の繋がりの深さや、他のアジア諸国の学生たちとちょっとした対立がある話。みんなそれぞれ人間関係の問題はあったんだろうけど、私は日本人一人という立場なので、どこのグループにも属さず、気楽に生活していた。笑

*2:文化大革命によって、音楽を教えない音楽学校が出来上がってしまった時代があった